箱根駅伝・復路

優勝したのは亜細亜大学でした。順大の往路優勝と同じく亜細亜大の優勝を予想した人は少なかったと思います。
箱根駅伝公式ガイドブックには6位±1が目標と書いてありました。駒大、東海大、日大、中大には勝てないだろう、日体大、山梨学院の一つには勝ちたい、という意味合いの目標設定だったのでしょうか。しかし、新聞では優勝を狙っていたと記載されていました。
優勝を狙える力がありながら、あえてそれを伏せ他校の隙をつく戦略だったのか、それともチームの順調な仕上がりと他チームの不安要素を見て直前にそう判断したのか、どちらかでしょう。
亜細亜大は見ていて思い出したのは、73回、74回と連覇したときの神奈川大です。当時ではまだ20kmで60分台の記録を持つ選手は少なかったのですが、神奈川大学にはそれが14人いた記憶があります。どこ切っても同じの金太郎飴チームと言われたりもしました。
その時代は選手層を武器とするチームと絶対的なエースいわゆる大砲を武器とするチームが優勝を争う時代だったと思います。
しかし駒大が力をつけ、藤田(現富士通)、神谷(現JALAGS)といった大砲を要しながら、選手層も厚いチームが登場しました。
エースの養成と選手層の強化、どちらも優勝するチームに必要な要素となった時代になったと思っていました。しかし、上位校にブレーキがあったため、選手層を武器とするチームにチャンスがめぐってきたわけです。
高校駅伝にしても、箱根にしてもブレーキが多かったように思います。気温が低く調整が難しかった、なんてこともあるのでしょうか。
ところで、亜細亜大学の岡田監督がかつてニコニコドーで松野明美選手を指導していたことは有名です。
岡田監督がニコニコドーの社員ではなく、それにも関わらず無償で指導していたことも知っていました。しかし、社会人で他社の運動部を無償で指導することがどうしてできるのか疑問でした。日本記録を出すほどの選手を指導するのに会社の理解・援助がなくては不可能だからです。
しかし、何年か前に陸上競技マガジンを読んでいたら、やっとその謎が解けました。岡田監督が勤務していたのが醤油メーカーでニコニコドーはそのお得意様だったということです。営業活動の一環だったわけですね。岡田監督が陸上部を指導することでニコニコドーから好意的に見られ、納入が増えるという考えもあるでしょう。さらに、陸上部が強くなる→知名度が上がる→売り上げが増える→醤油の納入も増える、という考えもあったのかもしれません。